自分では、あまり放置していないつもりだったが、もう3ヶ月も更新していなかったことに今更ながら気がついた・・・・。子供ももうすぐ一歳。時間の流れは速い。
9月からベビースイミングに行きだしたのが、更新の遅滞に影響しているのだろうと思う。夏にちょっとしたアパートの庭のような所で、子供プールを買って水遊びさせてみると、あまりにも喜ぶのでスイミングに体験入学させたら、もっともっと喜んだので、入会を決意した。決して安いわけではない月謝だったが、まぁ、仕方がない。私が専業主婦のときでなければ、習い事もさせてやれないのだからと割り切っての入会だった。
それから今まで、週2~3回、親子でスイミングに通う日々。これが結構疲れる。産後の運動不足の身には水の中での子供抱きかかえ高い高いや、ダッシュは体力を奪い、午後は子供と2時間昼寝しないとやっていられなくなる。それからの時間は、買い物、夕飯の準備に、散歩・・・と結構詰まっていて、なおかつ、PCをいじろうとすると、必ず子供がぐずるので更新ができずに今日に至ってしまっている。3ヶ月も放置するなんて・・・・何だか情けない。
ま、でも子供は元気だし、本当にあっという間に成長してしまう。もう、つかまり立ち、伝い歩きが思いのまま。ひとりで立っちもちょっとの間ならできる状態。言葉も話すし、感情表現も上手になった。1歳ぐらいになると、こんなにもかわいくなるのかと思う毎日。これから3歳までが一番かわいい時期だろう。子供を産んで良かったと心から思う。
が、その反面、夫にはイライラすることも多くなった。同居して1年。別居していたときの刺激も、新鮮味ももちろんなく、今は若干子供よりも面倒というか、手がかかるときもある大きな子供状態。しかも、気まま。機嫌のいいときじゃないと子供の相手をしないし、機嫌が悪いときは子供の前でもあからさまに態度を取る。そんなわけで、子供とは離れたくなくても、夫との別居を週1回ぐらい望んでしまう自分がいる。今の私を支えているのは、いずれ仕事復帰して、別居できるということだったり・・・。別居したらしたで、寂しさもあるのかもしれないが、わがままが許されるなら、別居生活を望んでしまいたい。でも、子供はパパが大好きなので、なかなか難しい・・・・。あんなに同居したかったのに、いざ毎日一緒にいると、色あせるもんだ。
そんな日常。
ちょっとだけ休んでいたつもりが、もう3ヶ月ぐらい日記を更新していなかったことに驚いている。最近、娘の昼寝の時間が短くなり、夕飯の支度だけでいっぱいいっぱいというのが主な理由だろうか。娘もいつの間にか8ヵ月半・・・。どんどん大きくなって、どんどん新しい知識を身につけていく。
近所の育児サークルにも微妙に顔を出していたのだけれど、娘と同じ月齢のお母さんがたまたま4人いて、そのうちの1人の人が積極的というか、友達ほしいという人で、連絡先を交換した所、「うちに遊びに来ませんか?」って言う誘いがくるようになり、お盆までは週1回ぐらい遊びに行ったりしていた。でも、私としては特に友達を求めているわけでもなく、そして娘といるのが苦痛でもないので、ちょっと面倒くさいな~という感じだったのだが、他の人たちは「日中が息詰まる」と言っていて、こうして誰かとつるんでいるのが楽しそうだった。
思い起こせば、昔から女性特有の集団行動になじめず、友達は1人ないし2人で固定というぐらい、広く浅く付き合ってこなかった。私は気のあったごく少ない友人と深く付き合うのが好きで、深く付き合えないなら友達なんていらないっていうぐらい、小学校から今に至るまで特定の人としか付き合ってこなかったのだ。カラッとした後引かない男友達との付き合いには慣れているが、複数の同性との付き合いはからきし苦手で、どうしたらいいのかわからなくなる。だから、もう女4人という時点で立ち位置がわからないし、この微妙に親しくない人と一緒にいるのがすごく疲れてしまうのだった。こういうところにも女性特有の文化が入っているのを改めて気づかされた。ま、ずーっと集団でトイレに行っていた女の人たちがそのまま大人になったようなものなんだから仕方ないのかもしれないけれども・・・。
なので最近、どうやって付き合っていこうかちょっと考えているし、誘われても時々断ったり、行っても途中で帰ってきたりしている。兄弟がいない娘にとっては、同じぐらいの子供と触れ合える貴重な機会だから、無下にはできないけれども生活リズムが確立しつつある娘も、度々行くのはストレスになるだろう。何より、私がだるいなと思っている時点で、娘もそれを感じているに違いない。
慣れない土地 核家族 近くに親類ゼロ 母親にも頼れない
という今の私の環境にとっては、ママ友はむしろ望むべき存在だけど、そうなれないのは自信があるからなのだろうか。ともあれ、探っていくしかない・・・か。
この話に「つづき」がつくことなど、想像もしていなかった。
けれど、なぜか、微妙に「つづいて」しまうのが、やはり因果なのだろうか。
義父が入院したことはこの間の記事のとおり。先日、義父の看病のために帰省している義姉から夫に連絡があり、義父の様態が良くなっているとの知らせを受けた。薬が効き始めたのか、原因がわかったのか、ともあれ好ましい事態の報告が電話から発せられるのを感じ取る私。良かった~と思いながら、安堵して電話後の夫の口から語られるのを待つ。
「確かに、○○(当初の病気)は良くなったんだけど・・・、
どうやら違う病気にかかっているみたいなの。
それが原因で○○になったらしくてさ」
ーふーん
「それがね、う~んと****??***って病気らしいの」
-ああ、××・***病ね・・・・。へぇ~・・・それって・・・
っと、病気の特徴を少し言いそうになって私はやめた。××・***病。何で私が知っているかって、それは私の研究領域の科に属する病気で、医学書を何度か読んだからだ。それはつまり、今罹っている科から、マザコンデブ男の属する専門領域の科に移動になることを指していた。
「治るっぽいよ」
やや明るい声でそう語る夫だったが、私の表情は硬い。何でこうなっちゃうんだろう・・・。これで完全にかかわらないと言う選択肢はなくなってしまったのだった。間接的にであっても、身内があの男にかかわってしまうと言うことが、私をブルーにさせた。同じ病院にいるだけでも嫌だったのに、今度は同じ科の医者と患者。下手したら担当医・・・。
ふぅ~
ここから先は、もう聞くまい・・・と、心に決めた。できれば、今後リハビリとか往診とか、そういうことになりませんように・・・と心底願う。病気は確かに良くなるが、完治はしない病。うまく治ってくれればいいが、義父も高齢。今後、長く病気と付き合うことになれば、同時に長くあの男とも関連しかねない。全く、どうして、こうなってしまうのだろう・・・。
腐れ切った縁というのは、結構根強いもんなんですね。。腐れ縁だってわかったら、さっさと処分したほうがいいですよ、皆さん。
何でこうなってしまうのか。つながってしまうのか、私にはわからない。
昨日、夫の実家から連絡があり、義父が肺炎で入院したが値が悪いらしく、家族を呼んでほしいと医師に言われたとのこと。義父自身は長年のヘビースモーカーのため、日常的に咳は出ていたし、今回も自覚症状はそれほど酷くないが、片肺が真っ白と言うことだった。連絡を受け、夫が朝一番の飛行機で実家に戻った。私も誘われたが、5ヶ月の子供を連れて行ったところで、迷惑になったり、義母に必要以上に気を使わせるだけだと思い、断った。義父は確かに定義上は高齢者だが、多分68ぐらい。見た目も動作もピンピンし、健康そのもの。G.Wに帰省したときも、元気そうだった。
入院していると聞いた病院は、夫の実家から3駅ぐらい先の所にある総合病院だった。それを聞いたとき、何か引っかかったような気がしたけれど、そのときはわからなかった。
今日、子供と買い物を終え、昼寝をさせているとき、夫が口ずさんだ病院の住所が頭の中でリピートされた。○○区××・・・。
もしかして・・・
すぐにネットで調べてみると、あのマザコンデブ男の名前が、4年前と変わらずそこにあった。かかわりがあったのはもう少し昔のことだけれど、ボランティアしていた患者さんがそこで入院・死亡したのは4年前。あの時、担当医でなかったので接触は避けられたが、ネットで名前を見たときには驚いた。彼の異動先など、調べたこともなかったのだから・・・。
それから結構な月日が流れ、大学病院の医局と関係している医師は異動の周期が短いと言うのに、相も変わらずそこにいるとは・・・。専門の科が違うからまだいいが、同じ空気を夫家族が吸っていると思うとブルーな気持ちはよりブルーになり、行かなくてよかったと安堵している自分がいた。
それにしても、どうしてよりによって、あれがいる所につながってしまうのだろう。初めに行った病院から紹介されたと言うが、なぜ、数ある病院の中で「そこ」なんだろう。この災いは私が招いているのではないかと思うほど、因果を感じずにはいられない。
それを知ってから、どこか上の空で、どんよりと気持ちが沈んでしまった。もう夫とも連絡を取りたくなく、すべてを断絶して娘と2人だけの世界に浸りたい気持ちだ。夫は検査結果が出る月曜に説明を聞いて帰ってくるらしいが、心の中では早く帰ってきてほしいと言う思いと、もうずっと帰ってこなくてもいいよと言う相反する思いで、何だがぐちゃぐちゃ。こんなとき、なんだか無性に仕事がしたくなる。
早いもので、娘も4ヶ月になった。
特に仕事もしていないが、育児の1日はそれなりに早く、あっという間に月日が流れる。いつの間にか、担当していた学生が巣立ち、今や新たな大一歩を踏み出しているだろう。子連れで卒業式も行き、何とか学生を送り出すこともできた。やっと育児するだけの毎日。寂しいような、嬉しいような・・・。
生まれて2日目から2週間、入院した娘だったけれども、あれ以来、体調を崩すこともなく、元気に過ごしている。今まで、夜中に一度も泣いたことがなく、必要以上に不眠にならずに済んでいるせいか、私もイライラすることなく、毎日楽しく過ごしている。今は首も据わり、娘を膝の上に座らせて、一緒にブログを更新している。手のかからない、良い娘だと、毎日思っている。
でも、そう思うのは私だけのようで、夫と2人きりになると、娘は号泣する。以前、同期が遊びに来たとき、3時間ほど食事に出かけて戻ってくると、夫が疲れきっていた。それまで2人きりで過ごしたことのない夫は、娘は赤ちゃんで、ちょっと抱いてやればすぐ寝てくれると思い、久しぶりに一人きりになる晩ご飯を高級なウイスキーと高い総菜屋で買ったおつまみで、楽しくやろうと考えていた。でも、娘は当時3ヶ月余りで、起きている時間もずいぶん多くなり、たやすく寝てはくれない月齢だった。二人っきりになると、ギャングのように泣き出し、夫は娘を抱いたまま、3時間、ずっと家中を歩き続けた。結局、娘が寝てくれたのはたった15分で、そのときに、余裕を見せて打った私へのメール「○○(子供の名前)、爆睡しているから、ゆっくりしてきていいよ」が仇となった。あとで聞くと、父親としての余裕を見せ付けたかったとのことだった。
それからというもの、夫は娘と2人きりになることを極端に嫌がるようになり、私の人間ドックから学生の卒業式まで、どこにでも娘を連れて行くことになった。私といるととてもいい子で、それほどぐずらないのに、夫と2人きりになると泣き声も違うし、抑えてやむような不機嫌さではなかった。困った、困った・・・と思えば、子供も不安になるのだろう。だから、子供は泣くのが仕事なんだよと言っても、もともと子供が好きではない夫は、「虐待してしまう親の気持ちが、何となくわかる」と言い出す始末。まぁ、確かにかわいいだけじゃ、子育てできないけれども、でも、かわいいからこそ、頑張れる部分は大きい。
最近は、日常の些細な所で、よく笑うようになった娘を見て、夫も娘と遊ぶようになったが、お風呂の最中も入り口にいる私を目で追い、微笑む娘を見て、「なぜ、その笑顔をパパに向けない」とすねることもしばしば。
娘も4ヶ月。夫もパパになって4ヶ月。どちらも手探りの日常であることに変わりはない。
私はそんな夫と娘を見ながら、相変わらず穏やかに生活する日々。育児ノイローゼとか最近は多いみたいだし、私のように引っ越して、親や親戚も近くにおらず、日中も地域からも孤立している人に多いみたいだけど、こんなにかわいい子と過ごす日常で、どうしてノイローゼになどなれるのだろうと思ってしまう。”たまには離れたいわ”っていうことをよく聞くけど、私は娘とずっといたい。いつでも、どこでも一緒が楽しくて、いとおしくて仕方ない毎日。